政策レポート

2006年8月 7日

格差問題について考える(その1)

1、小泉政権と格差拡大の問題

5年余にわたる小泉政権の功罪を論じる際に、今日、大きく取り上げられているテーマが「格差問題」です。国会の審議やマスコミの論評でも、「格差社会」とか「下層社会」、あるいは「勝者と敗者」というような言葉が飛び交っています。また世論調査でも、国民の6割以上が社会的・経済的格差が拡大を感じているという結果も発表されています。

しかし、現在のところ、格差に関する厳格な概念規定や測定方法、あるいはどの程度の格差が許容範囲であるのかという価値基準については、学問的にも十分に検証されていない状況です。所得の格差については、今年の『経済財政白書』が扱っているように、ジニ係数の他に、タイル尺度(TI)や平均対数偏差(MLD)などによる分析があります。またOECD(経済協力開発機構)が各国間の比較に用いる相対的貧困率による分析などがありますが、いずれにしても、サンプルの取り方、社会的諸条件の変化の扱いなどで多くの課題を残しています。


(平成18年度『経済財政報告』より)

現在のところ、小泉政権の政策が格差の拡大・固定化にどの程度影響したかを客観的に論証することには限界があります。しかし、格差の拡大傾向は現実のものとしてあるわけですから、私たちとしても、格差が拡大し、社会階層が固定化していく社会は決して容認されるものではないという立場にたち、これを食い止め、改善する政策のあり方を探っていくべきだと考えます。

まず、OECDの対日審査の分析と内閣府の『経済財政白書』の分析を見ながら、この「格差問題」の論点を整理してみます。

2、OECDの指摘と対策のあり方

先進工業国30カ国が加盟している「経済協力開発機構(OECD)」は、さる7月20日に「2006年の対日経済審査報告書」を発表しましたが、日本の所得格差問題を詳しく取り上げています。そこでは、「2000年段階ですでに日本の所得格差は米国に次いで2番目に高かった」と指摘し、「格差が固定化している恐れがあり包括的な対策が必要だ」と警告しています。

OECDは、所得格差を分析する方法として、生産年齢人口(18歳以上65歳以下)の相対的貧困率を用います。この相対的貧困率とは、その世帯の可処分所得が中位置(全体の真ん中)の人の半分に満たない家計の割合を示すものです。あくまで、その国の所得の低い層がどのくらいの割合を占めているかを表わすもので、その国全体の貧しさの度合いを測るもの(絶対的貧困率)ではありません。

OECDの相対的貧困率を試算は、小泉政権による構造改革が始まる前の2000年段階で13.5%としています。これは、OECD加盟国の中で米国  (13.7%)に次ぐ高さとなっています。日米がずば抜けて高くなっているわけですが、5年前の1990年代半ばの相対的貧困率が11.9%であったことを考えると、この格差は不況期の中で急激に大きくなったことが伺えます。

OECDは、その要因として企業の雇用政策に焦点をあてています。景気低迷の中で企業がリストラを進めた結果、正規労働者と非正規労働者による労働市場の二極化傾向が強まり、これにより格差が広がったのはないか。そして、格差の拡大を防ぐ処方箋として、正規雇用を増やすための施策、非正規雇用者への社会保険の適用の拡大、あるいは、所得水準が厳しい母子家庭などに社会福祉支出を振り向ける政策などを提言しています。

この報告書は、「格差問題」に対して明快な分析と政策の方向性を打ち出しており、とくに格差問題と雇用問題の関係性に言及していることが注目されます。

3、『経済財政白書』の格差問題の分析

一方、政府(内閣府)は、7月18日に発表した平成18年度版の『経済財政白書(年次経済財政報告)』で、この経済的格差問題を詳しく分析しています。分析による主な結論は次のとおりです。

①世帯を単位にジニ係数などを使って分析すれば、我が国では80年代より緩やかに経済的格差が広がっている。これは、もともと格差が大きい高齢者世帯が増加していること、世帯人数が減少していることの要因が大きい。

②近年、高齢層内部の所得格差は縮小傾向にあるが、25歳未満の若年層内部の格差は拡大傾向にあり、フリーターやニートの増大を考えると、この格差拡大の問題は大きい。

③個人の労働所得について格差を分析すれば、80年代半ばよりジニ係数が上昇し、とくに97年に以降は上昇幅が大きい。これは非正規雇用者の占める割合が上昇していることに起因していると考えられる。また、世帯単位の所得格差がこれより大きくないのは、家計を助けるために主婦などが働きに出て、家計の収入減をカバーしているからである。

④OECDの中では、ジニ係数は中位程度。相対的貧困率は上位にあるが、統計の取り方によってはそれほど高くない。また、生活必需品が調達できない割合で測る絶対的貧困率では日本は一番小さい。

⑤家計の消費、資産についてジニ係数を用いて格差を分析すれば、格差が拡大している傾向にはない。但し、資産格差は所得格差より大きい実態にある。また、社会的階層が固定化しているという指摘があるが、これについては明確な動向は見られない

⑥国民の格差拡大の意識の強まりは、長期の不況と回復過程において所得の上昇と低下する人が大きく分かれ格差意識が敏感になっていることによる。また年功賃金体系が変化し成果主義的賃金などの導入によって差異への認識が強まっていること、さらにはIT関連企業など突出した高額所得者が出現する一方でリストラによって厳しい状況に追い込まれる人の事例もあって、格差拡大感が意識面で強まっていることが挙げられる。

以上のように、今年の『経済財政白書』が取り上げた格差問題の分析と認識については納得できる部分もありますが、概して問題の深刻さや政策の緊急性といったものは感じられません。また、分析の対象期間の問題はありますが、小泉政権による改革路線と格差拡大との関連性の分析を敢えて回避したという印象も拭えません。但し、若年層の雇用問題の深刻さ、あるいは非正規労働者の割合が増えていることによる様々な問題指摘は、ある意味で政策的視点からの言及にはなっています。つまり、労働市場における規制緩和の推進、あるいは長年にわたり企業の労働コスト削減策を看過してきた労働行政のあり方が暗に批判されているわけです。まさにこの点こそが、小泉政権の責任が追及されるべきところです。今後、雇用問題や労働問題への取り組みに関し、政府に対する圧力はますます高まっていくことになるでしょう。

4、最大の課題は若者の雇用問題

近代国家は、労働者の権利擁護による階層間格差の縮小とか、税制などによる所得再配分機能の強化、あるいは社会保障制度による貧困層や社会的弱者への保護政策などを通じて、健全な社会を維持していくことを社会政策の基本目標にしてきました。現代の産業社会では、さまざま競争の中で多くの社会的弱者や敗者が排出されるわけですが、経済活動や社会活動への参加から排除される人の割合が増えていくということは、社会が内部から崩壊していく契機となるものです。このことは、まさに歴史的な教訓であり、現代国家はこれを防ぐために、格差を固定化・拡大させない様々な制度やシステムを社会の中に組み込んできました。同時に、極端な平等主義による社会の活力喪失に対しても警戒し、競争システムやチャレンジ精神を醸成していくシステムも併せて仕組んできたわけです。

私たちが「格差問題」を論ずる際には、不平等・不公平を正すという強い思いと、社会の競争的発展をうまくバランスさせるという感覚が必要ではないかと考えます。しかし、今日の我が国は、さまざまな経済的な制約条件があったとはいえ、余りにも社会の中にいびつな格差や不公正が拡大してきたというのが実態ではないでしょうか。

そして、OECDの分析や『経済財政白書』が指摘しているように、この格差に関する最大の問題は雇用問題にあると言ってよいでしょう。格差拡大や格差の固定化を防ぎ、低所得者層の生活難に対応するための税制や社会保障政策なども重要ですが、さまざまな格差問題に直接働きかけ、また将来にむけて社会と市民生活の安定化をはかる上で、雇用や労働の分野での対策が重要かつ最も効果が上がるものであると考えます。

その最大のテーマは若者の雇用問題です。すでに、フリーターの増大と長期化、あるいはニート問題として社会的にも大きな関心が寄せられていますが、労働行政として、この問題解決に向け、あらゆる資源を投入していく必要があると考えます。とくにニート対策については、家庭の問題や若者の意識の問題もあって、行政のみの対応では自ずと限界が出てきますから、現在、各地で試験的に取り組まれているNPOなど民間団体の活動に対し、さまざまな支援を強化していくことが大きな鍵になると思います。

一方、所得格差問題と非正規雇用労働者の増大は極めて深い関係があるため、今後の労働行政は、「労働市場の弾力化・規制緩和」とか「グローバル化に対応する労働コストの削減」という経営側の言い分に呼応することなく、非正規従業員の割合の増加に歯止めをかける方向に大きく転換すべきです。最近は、景気回復を背景にして、職業安定所の対応などで正規社員化を推進する施策が少しずつ出始めておりますが、今後は、労働法体系の抜本的な見直しを含めて、この課題に果敢に挑戦してくべきだと考えます。

5、格差問題と「ものづくり」の関係

中国・インドなど新興工業国の台頭などにより、国際的な競争がますます激化する中で、今日、我が国製造業は、「ものづくり力」の一段の強化が求められています。しかし、所得格差拡大の要因になっている非正規雇用労働者の増大は、この「ものづくり力」の強化という点において大きな障害になっています。「ものづくり」の現場を支える技術者・技能者のチャレンジ精神の醸成、あるいは今後の我が国の産業支える次世代の人材育成という目標は、従業員の雇用の安定と生活の保障があってはじめて達成されるものです。

製造現場を支える「人づくり」、また製造業を支える第三次産業における「人づくり」は最も優先されるべき経営課題ですが、ここ十数年の産業界の動きは、これに全く逆行するものでした。工場の海外移転が続き、多くの中核的技能者が職場から去り、また正規従業員も減り続ける中、反対に請負・派遣労働者などの非正規従業員が増大していったわけです。労働コストが切りつめられ、研修費など人材育成のための経費も十分に確保されず、製造業における「ものづくり力」は確実に低下してきたのではないでしょうか。

所得格差の拡大は、まさにこのような労働現場の大きな変化の結果として表れているものですが、逆に、製造業における「ものづくり力」を強化する政策を確実に実施していけば、雇用面、労働条件面での改善がはかられ、とくに人材育成という経営戦略がたてられるわけですから、結果的に格差縮小の方向に大きく作用するものと考えます。金融やサービス産業など都市型の産業とは違い、製造業は条件さえ整えば全国的に立地が可能であるために、製造業の復権は全国的な雇用機会が増大に繋がっていくと思います。

格差拡大を食い止め、所得格差が階層間格差の固定化に結びつけないためにも、製造業を復権させ、製造現場の「ものづくり力」を強めていく施策は有効な政策手段になるものと確信します。