遅牛早牛
時事雑考「2025年8月の政局 米国の外交は引き算、中国は足し算―戸惑う同盟国と友好国」
まえがき
【今回も、7月13日、7月17日に引きつづき、2025年のリスクについて妄想を重ねてみた。2025年も早や半ばを過ぎ北半球はうだるような暑さに悶えているのだが、悶える原因は猛暑だけではない。
今や、トランプ関税が地球を覆っている。政治が経済を振り回している。かつては経済が政治を規定していたが、今日立場は逆転した。トランプ氏は「アメリカファースト」に忠実なあまり、世界経済におかしな鉄槌を打ちこんでいる。しかし、トランプ関税が最終的にトランプ氏を支持する人びとにプラスになるのか、現時点では分からない。
それよりも、同盟国あるいは友好国に対する容赦のない過酷な要求はかならず同盟劣化として米国にはね返り、予想外の事態をまねくであろう。悲観的すぎるかもしれないが、地政学的液状化という時限爆弾のカウントダウンは止められないかもしれない。この段階で覇権国の洞察力をこと挙げするのはさすがに一方的すぎるかもしれないが、トランプ関税が国家間の搾取をもくろむ罠であることは自明であるとしても、罠にかかった獲物の多くが同盟国であり友好国であることがこの先何をもたらすのか、あれこれ考える余裕もなく「よき時代」は確実に終焉にむかっている。
リスクを論じているうちはまだまだ幸福なのであろう、なぜならそれは直(すぐ)に惨禍に姿を変えるから。また、悪いことは重なるので気をつけないと。
前回にひきつづき、ユーラシア・グループの「2025年10大リスク」のリスク項目は、本文中では「」で示し、日本語はユーラシア・グループ「2025年の10大リスク」日本語版リポートから引用した。】
時事雑考「衆参過半数割れは赤ランプ点灯だが、政権交代はモラトリアム」
まえがき
[ 今回の参院選は世論調査の予想の範囲でいえば「やや上限に近い」といえるかもしれない。もちろん、与党過半数割れとなったうえに、議席減をみれば大敗ではある。つまり、自公で47議席なので非改選75との合計議席が122であるから、過半数の125には3議席足りない。3議席というのは微妙で、保守系無所属や保守系野党が案件ごとに賛成にまわれば過半数をこえるという、ギリギリのゾーンといえる。過半数割れにもいろいろある。また、国会が開催されれば会派構成が明らかになるが、秋の臨時国会までには無所属議員の会派入りがあるかもしれない。
7月25日、野党党首に日米関税交渉の中身が説明された。令和の不平等条約と将来非難されるかもわからない。初めから条件闘争に入るとこういうことになるといった批判もでてくるであろう。このなんともいえない奇怪さを国会の議論で払いのけられるのか、というテーマだけでも臨時国会開催の価値があるのではないか。
それにしても、週央での石破氏退陣号外には驚いた。推測記事はよくあるが、号外とはやり過ぎではないかと思う。さらに、昼の報道系番組でも日米関税交渉についての「よくやった感」には江戸時代のかわら版を思いだし、いまだに報道に情緒主義をもちこんでいるのか、と少し落胆したのである。詳しい話も聞かずにということで、日米両国の政権担当者の政治誘導を無検証でたれ流すという「立派なお仕事」を「なんとなく皆で」かついだのではないかしら。トランプ関税は国難であるといっていたのに基本的な議論もなしに終結とは、減収減益となる企業もでてくるだろう。野党にも大きな役割があるだろう。
参院選の投票に関する考察は後日にして、今回は21日に外部出稿したものに大幅加筆し、当面の政局についての予想方々妄想とした。 ]
時事雑考「2025年7月―巨大なリスクにどう向き合い克服するのか」
まえがき
[今回は7月13日の「『アメリカファースト』と『チャイナファースト』の相克」のつづきである。とくにトランプ政治のリスクに着目してトランプ関税の各国におよぼす影響を考えてみた。はたして嫌米運動としての不買運動が各国でおこるのか。もちろん妄想ではあるが日米関税交渉の国内や民心への影響もふくめ、さらに安全保障体制へ対応など、かなり喫緊といえるテーマとなっている。
リスクといえば、日米関係がうまくいかないのであれば別に保守政党にこだわることもないとまでは有権者も割りきれないと思う。が、現実はサバサバしているのか、それももうすぐ分かる。今回も、字数超過で「つづき」となったが、くどくどしい部分もあって○○を自覚しつつある。
「かな」の多い文体を試していたが、どうしても漢字が攻めてくる。日本語変換に支配されてはいないが、いちいち訂正し「かな」にもどすのがめんどうなのである。
前回にひきつづき、ユーラシア・グループの「2025年10大リスク」のリスク項目は、本文中では「」で表し日本語はユーラシア・グループ「2025年の10大リスク」日本語版リポートから引用した。]
「2025年7月-『アメリカファースト』と『チャイナファースト』の相克」
まえがき
[ ――王様は地球の自転を止めるように経済を逆転させようとしている。何が起こるのか、きっと知らないから自分のことを偉大だと思っている。本当は壊し屋なのに。
裸の王様は口をつぐんだ大臣たちにかこまれた仮想の王国に住んでいる。王様は強い。たとえ裸であっても王様は強いのである。強さを見せびらかせるためにわざと裸でいるのかもしれない。
そんな強い王様に対抗するには弱い者があつまって集団で話しあう(多国間交渉)のがいいのだが、王様は個別で話しあうディールにこだわっている。すでに、ディールを終えた者もいるがほとんどがこれからだ。それぞれに事情があることから簡単には譲れないので、交渉は長引きそう。――
今年も半夏生(2025年は7月1日)をとっくに越えてしまった。が、過ぎさった半年と今迎えている半年はけっして同じ長さではない。数えれば181日と184日で後半のほうが3日ほど長い。しかし心理的には短く感じる。おそらく、あっという間に年の瀬をむかえることになるという思いこみのせいであろう。]
1.2025年はトランプリスクの年
2025年の話題はいうまでもなくトランプに始まり、おそらくトランプで終わる。新聞もテレビもネットニュースもSNSも赤色帽にあふれている。国内政治は参院選後に残すとして、やっぱりこれしかないのかと。それにしても今年も暑ぐるしい。
さて、米国の調査会社「ユーラシア・グループ」が年初(1月7日)に公開した「2025年の10大リスク」(イアン・ブレマー氏、クリフ・カプチャン氏)はあいかわらず興味深い内容を提供している。この半年間折にふれ思索(妄想)をいい感じで刺激してくれた、いわゆるインスパイア系である。
ということで、敬意をこめて10大リスクのうちのいくつかをテーマに選び、いつもの妄想で2025年の中間的ふりかえりとする。なお、本文中のランキング項目として「」で囲った部分は、ユーラシア・グループ「2025年の10大リスク」日本語版リポートから引用したものである。
時事雑考「2025年6月の政局-国会を閉めてから本番-」
まえがき
[ 国会が閉じた。少数与党としては何とか耐えたということか。評価は参院選に持ちこされたが、世論調査と実際の投票行動の差異があるのか注目されるところである。
やはり少数与党という形には無理がある。安定政権のあり方がこれからの課題となるのではないか。有権者もむつかしい判断を迫られることになると思われる。今回は令和の米騒動について後半に記述してみた。小泉効果の評価も気になるが、2025年産米のでき次第ともいえる。都議選の結果が気になる。
以下2025年6月24日追記。ホームページへの掲載時あたりから都議選の投票結果があきらかになっていった。自民党が大きく議席を減らした。6月に入ってからの回復感が霧消した感じである。公明党も思わぬ不調で、自民党とのつきあいが過ぎたということか。前回よりも高くなった投票率をあげる人もいる。立憲民主党は善戦したが、もの足りなさが不思議である。共産党についは活動のわりには評価が低い。立憲民主党との選挙区調整だけでは低落傾向からの脱却はむつかしいと思われる。
また、日本維新の会、れいわ新選組、地域政党「再生の道」も振るわなかった。首都ではあるが巨大な地方選挙区だから、7月の参院選の完全なプレバージョンとはいえない。しかし、傾向は事実なので真剣に受けとめるべきであろう。という意味で逆に注目されるのは参政党である。保守でありながら党運営はリベラルな感じで、この先も自民・維新・国民と競合する部分があると思われる。
ところで、その国民民主であるが、世論調査では、政党支持率あるいは参院選での比例投票先をみると、ピーク時の半分程度にダウンしている。という中で、あれだけ叩かれながら9議席というのはまずまずとの安ど感がながれているが、それはそれとして問題なのは、次点惜敗が立候補者数の三分の一もあることで、一連の不首尾がなければ15議席もあったということは、応援してくれた支持者との関係において反省すべきことも多いのではないか。
反省といえば、自民党の不調は支持者の離反によるもので、「政治とカネ」の問題は有権者の納得が一番なのに、まだ納得が不十分だということであれば参院選も厳しいといわざるをえない。以下の本文中では、小泉効果による印象好転によって、50議席を数議席以上上回るとの予想を述べているが、都議選の結果はそういった甘い見通しを打ち破るものであったといえる。
注)「読みにくい」ので、本文に見出しを2025年6月24日つける]
1.やはり、衆院委員長解任よりもはるかに内閣不信任決議案は重たかった!
6月19日、立憲民主党の野田代表が今国会での内閣不信任決議案の提出を見送ることを公式に表明した。筆者としては予想の範囲内のことではあるが、現実にそう判断するには別次元の重たさがあるのであろう。出すか出さないか、二つに一つの選択であった。いずれを選んでも議論はつきない。
選ばれなかった道はそこで消えるから「もし○○なら」という論法は余計なもので時間のムダである。今回の「見送り」に対して野党それぞれに意見があるとしても、閉会すれば過去の話となる。
昨年10月の総選挙の結果を「伯仲以上、政権交代未満」と解釈した。そして、この流れは今日においても変わっていないと思う。つまり、「政権交代未満」という民意が変わらないのであれば「見送り」には合理性がある。また野党第一党としての危機管理かもしれない。
ところで、前日の6月18日に衆議院は井林辰憲財務金融委員長を野党などの賛成多数で解任した。現憲法下では初めてのことである。それを「数の力」とわざわざ強調する報道もあったが、国会で決議が成立するのはすべて「数の力」であるから、とりわけ乱暴なこととの印象を与えるのはいかがなものかと思う。
報道によれば、井林委員長が野党の共同提出法案に対し委員会に付議しなかったことが理由ということで、解任された井林氏は「非常に暴力的なものを感じております」あるいは「来月1日から暫定税率廃止という無謀な法案が、これでおそらく政治的には廃案になると思う。国民生活に貢献したということで、私は政治家冥利に尽きる」と語ったとも。国民生活に貢献したという理屈はさすがに不気味であるが、委員長職を自身の政治心情の手段にしたのであれば不適任ということになる。
もちろん、国会法(第48条)では委員長の議事整理権を認めているが、それに対抗する意味で本会議での解任が可能となっている。井林氏の語ったことは「法案に反対なので体をはって止めた」との趣旨であろうが、そのまま解釈すれば委員長としては公平中立を欠く対応であったと非難されて当然であろう。したがって解任は妥当であったと思う。
他方、残り会期がわずかなことを理由に、「法案成立の可能性がない」のに提出だけを目的にしているといった声があったようだが、法案提出にあたりその成立の可能性が条件であるという決まりは聞いたことがない。
それにしても、会期延長がないと誰が決めたのか、ひつようがあれば延ばせばいいということであろう。また、ネット空間では少数与党であることを失念しての反応も多いようである。
注目のガソリン税の上乗せ暫定税率については、検討するようなしないようなヌエ的態度でお茶をにごしてきたのが与党ではないか。そういえば昨年のことで、もう時効かもしれないが、12月11日の自公国合意事項に暫定税率廃止というのがあった。「議論するのも嫌だ」ではなく、ぎりぎりまで議論ぐらいはしっかりやったらどうか国会なんだから、ということではないか。
さて、会期の延長は両議院の一致を前提としているが、不一致の場合は衆議院の決定が優越する。ということで、野党主導の短期延長も不可能ではない。もちろん野党としての覚悟がひつようではあるが、せっかく「まとまれば多数派」を国民からいただいたのだから、もう少し活用してもよかったのではないか、と思っている。
時事雑考「2025年6月の政局-地球規模の変動が米国を襲う」②
まえがき
[ 6月に入ってからイーロンマスク氏が減税をふくむ予算案に異議を唱えるなど反トランプ姿勢を強めている。ここでどうつぶやくのか、インフルエンサーなら腕の見せ処であるが、見せ処は見られ処なので気をつけるべしというか滑りやすいのである。
しかしまあよく分からない世界というか、1日で12兆円も資産を減らしても平気な地球で一番の大金持ちであるマスク氏と、唯一の超大国の代表者でほぼ王様になっているトランプ氏の関係をぺらぺらとしゃべってみても「ところであんたいくら持っているの?」と突っ込まれたらそれでオシマイでしょ。
とにかくナミの金持ちではない超々々々々超金持ちなんだからマスク氏は、いや正しくは50兆円があのマスク氏のマスクを被っているのさ実存的には、だから仮にマスク氏がフツーの人であっても50兆円の心情なんて分かるわけがないでしょ。
心情が分からない以上外見的にいうしかない。そこで今回のことは、ご主人さまは王様よりも王様的なので、人気者が嫌いなだけ。にもかかわらず、客人待遇のクラウン(ピエロ)が勘違いしてはしゃぎすぎて捨てられた、つまり処分されたということでしょうね。
そもそも、選挙で選ばれたわけでもなく、巨額の選挙資金を評価されただけなのだから、いいタイミングだったと思う。それにしても夢のような130日間ではなかったかしら、だれでも金さえ積めば経験できるというものではない権力の満漢全席が一日あたり3億円余りなんだからけっして高いとはいえない、そこは運がいいというかマスク氏自身が掴んだものといえる。で王冠の飾り羽がうれしげによく揺れるのでいよいよ邪魔になり、それで捨てられたのであろう。こんな話は中国の王朝ではよくあることなんでしょうが、それでも王朝の評価には関係しない。殉死をまぬがれただけでもましでしょ。
が、政府効率化省(DOGEドージ)が生みだした数々の悲劇の後始末を引きうけるのは誰か。また恨まれるのは誰か。名声3日恨み万日なので、これ以上ドジをふまないように。
さて、つづきコラムの途中でのまえがきは異例であるが、気候変動ならぬ「地球規模の変動が米国を襲う」というタイトルは「トランプは結果である」との仮説から寄せたもので「何かに襲われている米国政治」といいたいのである。もちろん、気候変動の厳しい襲撃を受けることもふくめての話である。
ところで、中国のトランプ取説はずいぶんと充実しているようで、6月5日の電話会談も伝わっているところでは習氏の対応は完ぺきだったと思われる。それでも中国側の悩みがつきないのは、トランプ氏には過去はあるが過去概念がなく、昨日のことは昨日で終わり、今日は今日で新しいのだ、というあまり「考えない哲学」つまり今だけを生きる超人なのであるから、不確実そのものではないか。思想なき者を思想の網では捉えられない。彼は自由なのかしら。]
時事雑考「2025年5月、地球レベルの政治変動が米国を襲う①」
1. もう山は越えたのかとトランプ関税の行方を思案している。思案してみても予測不能であることは変わらない。そこで、昔懐かしい鉛筆転がしでもやってみようかと思ったが、何を占うのかが意外とむつかしい。
さて、トランプ関税はインフレを招くのかと鉛筆を転がすと何も印字されていない素面がでた。「いまだ分らず」ということか。考えてみれば日用品や雑貨は駆けこみ輸入で米国内には相当量のストックがあるようなので、数か月は小売り価格に影響がでることはないと思われるが、いずれ在庫は底をつく。
4月の初旬だったか、90日間の発動停止という英断(?)にホッとしたことにくわえ、米中のボスの座争いに似た関税率のもりもり競争が25パーセント、10パーセントを踊り場として同じく90日間の中断にいたったことから、株式や債権あるいは為替市場の空気がおおいに緩んだものの、宇都宮の釣り天井という仕掛けの危うさは消えていないから、「安心するのはまだ早い」と忠告しなければと思っている。
しかし「ではいつになったら安心できるの」と問われれば、それもそうだよなあと、つぶやくばかりである。
ところで、安心できないのは、日々売り買いをしなければならない金融市場の気分はともかく、たとえ10パーセントであったとしてもベースライン(一律)関税のもつ景気への阻害性が気になるからであろう。
各論があるにせよ、その一律という特性はあきらかに米国にとって輸入抑制あるいは消費抑制にはたらくと多くの専門家が指摘しているように、まずはネガティブといえる。
したがって、貿易赤字はおそらく縮小すると思われるが、そのことだけで米国内での製造業の復活を信じる企業家はいないだろうから、輸入していた品物の多くが品薄になり価格は上向くであろう。という見方が変わらないかぎり、関税の賦課が本格化すればインフレが強まるとの方向感も変わらないと思われる。
これに対し、ミラン米国CEA委員長がどこかの会議で「輸入比率が(対GDPで)14パーセント程度なので関税がインフレを引き起こすとは考えられない」旨の発言をしたと報じられている。
そうかもしれない。たしかに、経済全体でいうインフレと個別品の値上がりとは次元のちがう話ではある。しかし、2024年10月までの分野別の輸入額ベースでの構成比は、一般機械(15.8%)、電気機器(14.5%)、自動車及び部品(12.1%)、化学工業品(11.3%)の4分野で53.7%となっている。これらは原材料や部品などの中間財としてサプライチェーンに組み込まれており、波及効果も大きいと思われる。金額ではなく波及効果を見ればその影響は思いのほか大きいのではないか。
これらのギトギトした分野で短期間で国内製造に切りかえることが可能とは誰も考えないであろう。そこで国内での代替が不能となれば、関税負担は米国内でのコスト増となるから、結果的に物価上昇はさけられないと考えるのが自然ではないか。
現在のところ、たとえば大統領みずからウォルマートに圧力をかけて、関税の小売価格への転嫁をはばむ作戦のようであるが、圧力には法的根拠はなく時間の経過とともに堤防がやぶれ溢水(価格転嫁が全分野におよぶ)すると思われる。
しかしこういった予想は現実的ではない。なぜなら、バイデン氏のインフレを批判して勝利したトランプ氏がみすみすインフレの種を見逃すはずがないということで、いずれどこかで「関税賦課」の再中断あるいは再延期を、ディールが成功している証として誇らしげに宣言すると予想できる。彼にとって「関税(タリフ)」は脅しでつかっている間は美しい言葉であるが、本当に適用されるとなればやっかいな問題を引きおこすものであるから、美しい出口のあり方を模索しているのではないかと想像している。
ということで、ミランCEA委員長の「関税はインフレの原因にはならない」というご宣託は逆説的に的中すると思われる。逆説的とは「インフレを誘引するほどの関税はかけられない、続けられない」ということである。
時事寸評「2025年4月の政局、石破政権とトランプ流の絡みあい」
まえがき
◇ 「格下も格下」発言が不適切とは思えない。赤澤氏は役目を果たしているというのが大方の受け止めではないか。問題はこれから先の交渉であり、本格的にやれば何か月もかかるから、今は期限内で日米間でどのような議論ができるのかについて入口での整理の段階であろう。
行動が心の表現系であるなら、大統領閣下のお出ましは差し詰め「まんじゅう怖い」ではなく「売却怖い」ということであろう。米国債の急落は金融パニックの引き金になりかねない。そうなればすべてを失う。わが国の政府系ではそのようなことはないと思うが、民間は別であろう。「格上も格上」であっても焦燥を隠すことはできない。
◇ トランプ関税はそれとして、とくに安全保障については多角的、重層的な議論がひつようである。ごく一部で語られている米国が海洋大陸に閉じこもるといったことは、たとえてみれば地球の自転が止まるような話である。
離れる必要性がでてくれば、すなわち条件が整えば米軍は日本から離れるが、それは構造的な緊張緩和(デタント)ということであり、わが国にとっても悪い話ではない。と同時に構造的というのは簡単に実現できるものではない。
今日の米中対立の出口は緊張緩和でしか成しえない。トランプ関税の逆説的評価は民間レベルでの日中欧交流の促進であろう。某国の覇権主義の角(かど)がとれればすべてが円滑になる。皮肉なことに相互関税が触媒効果を発揮しはじめると思われる。わが国も欧州も中国との交易は古く、新大陸云々以前の話である。あくまで民間が中心の話であるが。
◇ 4月23日の党首討論は筆者にとっては感慨深いもので、野田氏、前原氏、玉木氏の三氏はともに旧民主党の仲間であった。「この三人はどうして一緒にならないの」と聞かれて困ったが、「一緒になってもすぐに別れるから」と答えてしまった。労働組合ははじめに団結があり、その団結を守るためには綾絹をあつかう繊細な心がいる。政党はどうなのかしら。
それにしても、石破氏は足利義昭(室町幕府第15代将軍)なのか、兵力不足なのに応答自在である。日米交渉が有権者の視野にはいってくれば、石破氏にとって得点のチャンスであろう。あんがい勁草なのかも。
時事寸評「トランプ流の極意なのか朝令暮改」
[ まえがき トランプ氏あるいはトランプ大統領は今や地上における第一級の観察対象であり、彼の表情からその内心を読み取ろうと最新のAI技術を駆使したり、あるいは情報に対する解釈の癖や判断のロジックさらには隠された価値感などについて各国のエージェントが躍起になって解析している、と思われる。つまり世界は24時間365日たえまなくトランプ氏を見つめているのであるが、歴史上こんな人はじつに珍しいといえる。
そこで、そういった知見が積みかさねられた成果として「トランプ取扱説明書(トラトリ)」が普及することで、地球人の不安感もしだいにおさまっていくと予想するのか、それともいくら観察を積みかさねても彼特有の不確実性はかわらないし不確実なものの先行きを予想しても結果は不確実であるから不確実な状況は変わらないと予想するのか、いずれにしても2025年の4月も筆者ら妄想系にとっての憂鬱はつづくと思われる。
しかし、その憂鬱が薄まるのにさほど時間はかからないであろう。肝心の国民の生活がインフレでは耐えられない。ただし、振り上げたこぶしの降ろしようがないことから関税政策はおそらく迷走するうえに、くわえてウクライナも中東ガザも光明を見いだせないと悲観している。トランプ関税がおさまっても別の憂鬱がはじまるだけである。
ところで、米国の経常収支の赤字が2024年は1兆1300億円、対GDP比で3.9パーセントとなっている。財政収支も改善の見込みがないようで、双子の赤字をどうするのか。マスク氏の政府支出削減も行政サービスの現金化と思われる。
トランプ氏が諸悪の根源ではない、単なる結果でしかない。プーチン氏も習近平氏も同じことで、3人が引退するのに十年もかからない。しかし、三人組がいなくなって世界が良くなるのか。そうではないだろう。森羅万象、原因と結果が一対一でつながっているわけではない。]
時事寸評「2025年3月の政局-政党の老朽化と新陳代謝-」
[ まえがき 前回弊欄において、参議院選挙までは石破総理の退任の可能性はきわめて低く、さらに参議院選挙後もいずれかの野党との連立協議が整えることができれば引きつづき政権を維持できるであろうと予想し、そうならない障害として「重大な醜聞」の発生をあげた。今回の商品券配布がただちに辞任にはむすびつかない流れになってはいるが、参議院選挙およびその後の政権維持のためには「政治とカネ」問題を鮮やかにクリアするひつようがあるといえる。
今回のテーマは、わが国政治にパラダイムシフトが起こりうるのかという問いかけで、「政党の老朽化」をキーコンセプトに考察してみたが、政党においては支持層の新陳代謝が当面の争点になると思われる。また、立憲、国民民主には「脱労組と脱エスタブリッシュメント」を勧めるような書きぶりとなったが、現支持層の扱いはデリケートなもので、政党にとって簡単なことではない。
そういった本来簡単ではないことを実現するには、政界再編あるいは政党のリストラがひつようといえる。激変する世界情勢などに的確に対応していくためには、まず古い上着を脱ぎ新しいものを求めなければならない。脱ぐのは簡単だが、新しい上着を求めるには知恵と忍耐がいる。もちろん、古い知恵にたよるのは言外であるが、さりとてゼロはさすがにまずい。それにしても今の政治は、意識において「陳腐の絨毯に慣習の机と惰性の椅子」に支配されているばかりで、覚醒の泉にはなっていないのではないか。
次回は、トランプ流への対応を中心に妄想をかさねたいと思っている。]
1.この時期の商品券配布事件は自民党の劣化(老朽化)に原因がある
3月3日石破総理が10万円分の商品券を配布したことが騒動を起こしている。衆の新人議員に対する慰労懇親会での手土産を事前にくばったという。すでに3週間近くたっているのに、参予算委でくすぶり続けている。参議院には、衆議院から送付された予算案が30日経過すれば自然成立するので、それだけは避けたいという与野党共通の思いがある。また、予算委での審査はどうしても衆の二番煎じになりやすいことから、なんとか参議院の独自性を発揮したいとも思っている。
そこに、「総理の商品券配布」という醜聞が出現した。日ごろから争点不足気味の参予算委としては「政治とカネ」にからむ格好のテーマをえたことから、野党としては大いに湧きたちそれは今もつづいている。
配られた15人の議員は全員返したそうであるが、思わね手土産に驚いた議員もいたであろう。それにしても、なんと間の悪いことかと思う。と同時に前回の弊欄で「政党の老朽化」を指摘していたこともあり、あらためて自民党の感性や適応力の劣化(老朽化)を痛感している。
「今、何が大事なのか」といえば「2025年度予算案の年度内成立」であり「企業・団体献金問題の着地」であるのに、肝心の総理の足元から怪しげな付け届け文化が明らかになるとは、どう表現すればいいのか困惑のかぎりである。
しかし、どう考えてもあの石破氏のオリジナルな発想とは思えない。よくは分からないが、慣習化していたのかもしれない。であれば、「復興応援品にしましょう」のひと言がなぜ発せられなかったのか。思うに政権中枢の鈍感さと怠慢はやはり石破氏の責めに帰せられるものであろう。